まいにちショウアクのすけ

平日の日課として、書いて、書いて、書いて!

移動する図書館の思い出

僕の通った小学校には、毎週木曜日に移動図書館」なるものがきていた。

近くの図書館からたくさんの本を積んだ車がやってくるから「移動図書館」である。

当時の僕は、読書が好きだけれど、自分が本好きだということを、あまり人に知られるのが
嫌だった。

本が好きというと「暗いヤツだ」と思われるのではないかと思っていた。

だから、あまり小学校に設置されている図書館を使っていなかった。

 

しかし、本は読みたい。だから、その「移動図書館」をよく利用した。

そこで貸し借りされる本については、小学校の図書室のように
人目につくカタチで記録が残らないし、生徒が帰った放課後にひっそりと
小学校の校庭にくるそれは、借りている現場を見られる危険が少ないのである。

だから僕は、毎週木曜日、その移動図書館にこそこそと通っていた。色々な本を借りていった。

すべては覚えていないけれど、児童書の「デージェだって一人前」と「モモ」、
あとカートヴォネガッドの「スローターハウス5」を読んだときの
ワクワク感は忘れられない。

 

ヴォネガッドについては今でもたまに著書を手に取り読んだりする。
ワクワクするような描写がたくさんちりばめられていた。

 

中でも素敵だったのは、主人公のビリーが空襲の様子を映したドキュメンタリー映画を
観ている最中に、時をさかのぼる場面だ。

映画が逆再生のようになり、爆弾がどんどんと元あった飛行機の腹に吸い込まれていき、

その飛行機たちが逆向きに飛行場に降り立ち、中から取り出された爆弾が

工場で分解されていくシーンだ。なんと美しい反戦描写なんだと思った。

日本人には、こうゆうシャレの聞いた反戦は描けないんだろうなとなんとなく、

思ったのを覚えている。

 

僕はいつも、その移動図書館で借りた本は、

校庭の一番奥側にあるジャングルジムのてっぺんに上って読んだ。

 

そこは小さな町を一望でき、とても気持ちがよかったからだ。それと
だれかが、校庭に入ってきたときに、すぐ気づくことができるためだった。
…といっても、本を読み始めてしまうと、その本の世界に没頭してしまって、
そんなこと気にはしていなかったのだけれど、保険をかける意味でも、そうしていた。

夏の日のには、町は一面、青々としていてチリチリと耳元で音をが聞こえるようだった。

チリチリと音を立てながら、植物が成長しているような、生命力を感じた。

 

移動図書館には近くの図書館から職員が運転をしてくる。

毎回同じ、くるくるパーマのおばさんだった。

 

これは僕の憶測だが、図書館に勤務していて、大型車両の免許を

持っている人というのは希有な存在なのだと思う。

 

だから毎回おなじこの「くるくるおばさん」が僕に本を渡してくれた。

移動図書館にない本については、要望書を書かせてくれて、

次くるときにはその要望書に書いたタイトルを持ってきてくれていた。

 

印象に残っていることがある。

ある日、移動図書館で本を借り、いつものように本を片手に、ジャングルジムを

上り始めたときだ。

 

 

「おおおおーーーーい!!ちょっとーーーー!!」

 

 

くるくるおばさんが大きな声を出しながら、こちらへ走ってくる。

 

「はぁはぁ…ちょっと…いっつも、そんな片手に本もってジャングルジムなんて上ったら、

 危ないじゃない??だから、これ、おばさんがザック作ってきたから、今度からは、

 このザックに本を入れて、背負ってから上りなさい。ね」

 

「あ、はい…、あ、ありがとうございます」

真っ赤の袋だった。僕はそれを背負ってジャングルジムを上った。

 

今考えると、何も関係のない、我が子でもない僕に、

袋をくれるなんて、優しい人だったんだろうなと思う。

 

その日、本を読んでいても集中ができなかった。

或る気持ちが生まれていたからである。

おばさんのそのささやかな思いやりが、

人と関わるということはすばらしいことなんだなと僕に思わせていた。

 

僕は、こんな風に生きていていいのかと思っていた。
そして、隠していた感情が沸々とわき上がっていた。

 

友達がほしい。

 

明日には忘れてしまうような、くだらない話を

がははと笑い合いながら、話し合える仲間がほしい…

そう思って、僕は本を閉じた。

 

「うぃいいいいいいい〜!!!!!おっしゃーーーーーー!!!!!
飲んだゾーーー今日は寒いなぁ〜!!!!あああああああああ…」

 

酔っぱらっていた、部屋で一人酔っぱらっていた。そして、Tシャツ短パンでベランダに出た。

すごく寒かった。しかし酔っぱらっていて、なぜかそれが笑えてくる。

へへへへへへ〜…とそしてベランダで横になり、空と向き合う。
もう明るくなり始めていた。

 

 

また来年…先がとても長く感じていた。

笑いが、少しずつ、嗚咽に変わる。

僕は、嗚咽しながら、泣いた。

 

また賞を取りのがした。

また来年まで、長く苦しい自分との戦いが、忍耐との戦いが始まる。

いやだ、もういやだ、書くのもいやだし、推敲するのもいやだ。

それに、毎日睡眠時間を削って、また書き続けるなんて、いやだ。

認めてくれたっていいじゃないか。書いたもの、稚拙だとは

わかってはいるけれど、作品としての完成度までとは言わなくとも、

「よく頑張った」くらい、だれか言ってくれたっていいじゃないか。

 

 

そうおもって、津留にFacebookでメッセージを送る。支離滅裂なメッセージを送る。

時間は朝3時。当たり前だが、返信はない。

 

僕はのたうち回りながら次は必ず、穫ってやる。

かならず、見返してやると強く、強く心に誓った。

震える体で、誓い、そのまま、僕は眠りに落ちた。

 

そして、僕は、次の日、風邪を引いた。

ゆびおりかぞえる

今週のお題「夏の食事」

 

梅雨がふっと退席、失礼しやしたって感じ。
急に日差しが強くなる。

夏になると、新潟に住んでいる親戚の渡辺さんが
パイナップル、トマト、スイカなんかを送ってくれます。
今でも変わらず送ってくれます。

それがすごく楽しみで、
「あと○○日経つと梅雨が明けるな〜」なんて思いながら、
待ち遠しくて、指折り数えのは今でも変わりません。

で、送ってもらったパイナップルやトマトやスイカは
そのまま食べると、ちょっと熟れが足りない。

だから、お昼くらいの一番日差しが強い時間帯に
ベランダや、軒先で、直射日光2〜3時間当てるんです。
そうするとどれも俄然甘くなる。

僕が少年時代にすんでいた実家は小学校の目と鼻の先に
あって、3時間目くらいになると、家の人がその送ってきた
パイナップルやトマトやスイカをベランダに出すんです。

そうすると、小学校の窓から、黄色や赤や緑の夏の実たちが
夏の太陽にあたって、ありありとみえる。

「お!今日はかえったら、パイナップル食べれるな!」

うきうきしちゃんです。3時間目から。
そうすると、その日の授業も、バスケットクラブも
全然身が入らないです。

「あと、○時間で家に着くだろ〜おそらくパイナップルは
 風呂上がりにでるな。冷えているやつ、お風呂上がりに
 かぶりついちゃうもんね!風呂が沸くのが7時半‥となると
 食べれるのは‥」

そうやって、その食べれる瞬間までの時間逆算して
指折り数えちゃんですよね。

むかしもいまも、ささいなことで、
期待しちゃう性格なのは、
このせいなのかもしれないなぁ。

<S.S.E>ひょっこりおばさん

今週のお題「ゾクッとする話」池袋駅から僕の実家まで徒歩で行くと、

平和通りという商店街を抜けるのが一番の近道なのです。

 

そこの一本中に入った道をあるいているときなんですけど、

先のほうにある、公園の真向かいの家の玄関先の表札の陰から、

おばさんがヒョコってこっちを見ていて。

 

すぐひっこめる。

 

またヒョコってでて、すぐひっこめる。

 

それを何度も繰り返していて、

ちょっと面白いな〜笑ったら失礼かな〜と

思いながらも、ニヤニヤしながら、

その玄関先の近くまでついたとき、またひょこって顔を出して。

また引っ込める。

 

で、その玄関先を通り過ぎたとき、

気がついたんですよね。

 

その玄関先、おばさんが隠れる隙間なんてなかったんですよ。

ちょうど1年くらい前の話です。

 

うんこ漏れるかと思いました。

 

ネットで調べると、同じような経験をされている方がいて、

また漏れるかと思いました。

<S.S.E>もしもピアノが弾けたなら

正岡子規が書いた「俳句の出発」を読んでいる。

ふうむ、俳句か、とてもいいもんだなと思い、
これから俳句をやるべく、筆ペンを買う。

がよくよく思えば、私、文章書くとき、
手書きじゃなくてPCだったわけで、
其の「書く」と「打つ」という行為自体が違うだけで、
なかなか作文が進まない。

トイレでなんでだろうなんでだろうと
苦杯しているなか、ふと、思う。

ピアノは「弦楽器」なのか、それとも「打楽器」なのかと思った。

鍵盤を指で「打つ」と内蔵の「弦」が弾かれ音がなる。

こりゃ厄介だと思い、iPhoneをとって検索をしてみると
同じ質問を「教えて!goo」でされている方がいて、其の答えには

「ピアノはどちらにも属さない、
むしろジャンルを超越した楽器なのだ」とあった。

なるほど、しかり、そうかそうかと思った。
ピアノは偉いなと思った。よくやってる。

で、そろそろトイレをおいとましようと
手をトイレットペーパーのほうにのばすと、
紙がなかった。

ピアノは弾けない僕の、血の気が引いた。

クロックムッシュ

爪のはらのピンク、そんな感じに桜が彩り、どの木もぱぁと枝を広げてバンザイの3月外れ。

僕と空海先生が初めて会ったのは2004年の春だったと思う。

「君さ、なに、コピーライターになりたいんだ?じゃあもっと日本語を勉強しないとだよ、これじゃ難しいよ〜?これね、アンケートの文章、意味わかんないもん」

空海先生から初めて僕に発せられた言葉はこれだったと思う。

(…うわ。なんだか、強烈だなぁ…なんていうか、ちょっと苦手だぁ…)

そしてこれが僕が初めて空海先生の感想だった。

空海先生。干場英男さん。
先生は日本有数の広告代理店で
登りつめ、MBAを持った元CD(クリエイティブディレクター)。
多分僕が初めて出会った当時「憧れの広告業界の人」だった。

先生は、その初授業で、各受講生を見事な言葉刃で、バサバサと切り落としていった。(中には崖から突き落とされた人もいた)

(こ、この授業は、取らないでおこう…)

そう思って、僕は窓の外、綺麗に咲く花たちを見ていた。そんな時、空海先生が僕たちに投げかけた。

「あのさ、アメリカンアイドル見てる人いる?」


へっ?と思った。

アメリカンアイドル、当時CS放送でのみやっていたアメリカの一般公募形の歌手オーディション番組だ。当時、凄く面白かった。

当時はあまり日本では知られていない番組だった。

(この人、この年齢でアメリカンアイドル見てるんだ、、、よく知ってるな、、、)

そう思って窓の外の桜から目線を先生に戻すと、これまた軽快な口調で見事に番組の面白さを語っていった。

「あの、サイモンていう辛口評論家いいよねぇ〜…もう悲惨でみてらんないようなやつもいてさぁ〜…あ、もう授業終わりだね。この授業取りたい人は、最後に受講カードだして。まぁ、別に強制じゃないからさ」

帰りのバスに揺れていた。
バスのなかで何と無く、先生の事を思い出していた。

(あの人はいったいどんな人なんだろう…)

空海先生の授業では時たま課題が出された。

ヘミングウェイ 老人と海の感想文、

心に残った言葉、

などなど。

毎回帰ってくる提出物には「意味がわからない」や「はぁ?」などの言葉が並んでいた。
僕は落第生という言葉がピッタリだった。

ただ僕は当時、悔しくて悔しくて、「なんであんなひどいこと書くんだ」と問い詰めてやろうと鼻息ふいふい、ある日の授業後、先生が開いていたお茶会に参加した。

僕のほかにも何人かの生徒がお茶会には参加していた。
各々席に座り、各々注文。
僕はアメリカンを注文した。

先生の番になる。

クロックムッシュちょうだい」

(なんだぁ?クロックムッシュって?)

僕は生まれて初めてクロックムッシュをその時見たのである。

「いい匂い…!なんて美味しそうな食べ物なんだろう…!」

先生の口に運ばれるそれに心奪われ
いると、先生は息もつかず話し始めた。

いろいろな話。
学生運動の話、
岡さんの話、
そしてアメリカの生活の話。

アメリカの話は、僕にはとても刺激的な、魅力的な話だった。

そして思った。

(僕は、クロックムッシュさえ知らない…

そんな僕が、世間知らずの僕が、反論したって、口喧嘩したって、この人に勝てっこない…)

小さい頃、僕はパン屋さんになりたかった。

その次はバスケット選手、

その次は大工、

そして
コピーライター、

漠然と、本当に漠然と
何かになれると思っていた。

僕はその時、初めて、生まれて初めて、何にもなれないかもしれないと思っていた。真っ黒の、絶望だった。

その時の僕の文章は、
いや、文章だけではなく、
その時の僕自身そのものが、非論理的で、読み手に不親切な、奇を衒うだけの(便所の紙にもならない代物)だった。

紙っぺらだった。




月日は経ち、就職活動が始まって、そしてあっという間に終わっていった。

空海先生の予想とおり、
僕はコピーライターにはなれなかった。

同期の、仲の良いメンバーは、広告代理店に就職していった。僕も受けた。が、落ちた。どれもこれもあれも、落ちた。悔しくてたまらなかった。

桜は散っていた。3月の終わり、寒々しい日だった。

僕は大学を卒業した。

僕はノベルティやアパレルの商品を制作するSPの会社に営業職で就職した。少しでも広告業界の近くで働きたかった。

僕の上司は
人殺しのような、
いや殺してるんだろうなっていうくらい怖い目つきをしたKさんだった。

しこたま怒られた。
やることなすこと怒られた。

小銭をポケットに入れるな、

メールはワンツーで返せ、

お前の営業スタイルはお通夜営業か、

自分で考えろ、聞くな。

分かりやすく説明しろ。端的に。

爪切れ。服装整えろ。ダサい格好するな。

365日、365回以上、怒られた。
一時、話かけられるだけで、胃が痛くなった。

そんな日々が一年続いた。

少しずつ怒られなくなり、仕事も自分で回すようになったとき、仕事が楽しくなってきた。楽しくてたまらなくなっていた。

少しずつできることが増えるたび、僕は、何かになれたんじゃないかと希望を持って、嬉しく思っていたのだ。

そんな当時、世間ではmixiがまだ一般的にやられていて、その中で空海先生の名前を見つけた。

リベンジしたいと思った。

分からないけど、今の僕を書いて、ありのままを、なるべく空海先生に分かりやすく伝わるように書いて、コメントをもらえるだろうか。

イイとか、お褒めの言葉はもらえないかもだけど、コメントが帰ってきたら、、もう一度、広告制作の道を、リベンジする糧になるんじゃないかな、、、そう思った。

それから時間を見つけて、なるべく間をあけず、定期的に日記を更新した。

そして、3ヶ月くらい続けていたある日、先生からコメントがあった。

「なんか人間がまっすぐになったんじゃないの?」

嬉しかった。褒められないにしろ、空海先生がコメントを残してくれたことが嬉しかった。キーボードをうち、わざわざコメントを残してくれたことが嬉しかったのである。

それから、紆余曲折、転職のすえ、僕はいまの会社に入った。今はまだまだ半人前だけれど、いつか空海先生に「いいね」と言われるようなものが残せるように精進したいと思う。

そして、僕に絶望と希望を与えてくれた空海先生といつか、

クロックムッシュを一緒に食べながら、お茶会ができたらなって思う。

 

本当に、そう思う。

汽車を届ける

「すみません、今日は早めに帰ります。次があるんです」

 

「はぁ珍しい!まだハンバーグ、全部食べてないですよ?珍しいですね、浦川さん。」

 

「あ、はい…残してごめんなさい。」

 

「いえいえ!…なにか、その、大事な用事なのですか?」

 

「あ、何かあったわけではありません。今日は会社関係の人のご自宅でたこ焼きパーテ

ィをする予定なんです。そこに『ソウスケ』くんという、これまた会社の方の息子さん

がいらっしゃるので、会いに行こうと思っているのです。」

 

「なるほど。いいですね、小さなお子さんですか?いいですねぇ。

今日から12月ですものね。クリスマスプレゼント、買って行かれるのですか?」

 

あぁそうか、今年ももう残すところ一ヶ月か、と思った。

 

店を出て、周りを見回すと、赤と緑、クリスマス装飾があたりにちらほらと見ることが

できる。(初めて会う記念でもある。何か、プレゼント買っていってあげよう。)

 

通りに面したおもちゃ屋に入る。

店内にはオルゴール調のジングルベルが流れていた。

オルゴールかき鳴らすジングルベルのなか、プレゼントを買い、少し足早に、パーティ

会場がある阿佐ヶ谷に向かった。

 

阿佐ヶ谷の駅から会場へと歩く途中、釣り堀があった。

それをみやると、水面に西日がキラリキラリと反射して眩しかった。

よく見ると、釣り堀にはカップルがいた。

彼女が釣り上げた魚を網で彼がすくい上げているところだった。クリスマスが、近づく

と、至るところカップル。

 

釣り堀にもカップルか、と思った。

すくい上げる彼のへっぴり腰に少し、僕はニヤリして会場へ、また急いだ。

僕がついたとき、ソウスケ君はまだ来ていなかったが、少しして、お父さんの由良さん

に抱っこされながら、彼がきた。

 

とても小さく、全てが丸でできていた。

パタゴニアのフリース、リーのジーンズプリントがされた服を着ていた。とてもおしゃ

れであり、そして暖かそうな格好をしていた。

 

彼の格好のそのデザインと暖かさが由良さんと奥さんの

愛情の誠実さと深さを物語っているような気がした。

 

「ソウスケ、これどうぞ。プレゼントです」

 

「あんさー、ちょーこれー、開けー」

 

彼は3歳で少し喋れた。

 

渡したプレゼントの箱をすぐ僕にまた渡して、開けてほしいと願ってきた。

 

僕はプレゼント包装を開けるのが下手である。

いつものようにビリビリ破き、箱も粉砕して、

彼へのプレゼント「機関車トーマス」を渡してあげた。

 

「おー!こーさーえんしゃー?」

 

「そうそう、電車、厳密には石炭で走るから、汽車かな。」

 

「おー!」

 

彼は電車を持って、地面に起き、手でそれを走らせた。

そしてカメラアングルをローにするように、地面にべったり顔を付け、

目の前でカーブさせたり、スピンさせたり、していた。

子供のアングルというものがあるのだなと思った。

 

彼もいずれ年頃になる。そして大学生になり、旅に出たりするかもしれない。

アフリカやインドの汽車に乗り、手には沢木耕太郎さんの本なんか持って。

旅で出会う食べ物、文化、女性、それらが彼を成長させていき、

彼のその甘く輝くクリームパンのような手も、いずれはさくっりしょっぱい

かっぱえびせんのようになり、年をとっていくかもしれない。

 

僕にもこんな時があった。

しかし果たして僕は、彼の今の成長スピードには勝てないにしろ、

この一年で何か成長できたのであろうか…

 

「ねー、あんさー、こーいっしょー!」

 

「お、俺も汽車で遊んでいいのかい?ありがとうございます。」

 

2人で沢山遊んだ。夜も更けて、ソウスケは先に眠くなり帰って行った。

僕もお酒をかなり飲み、気持ちよくなり、帰った。

 

帰り道1人になってから、今年あった出来事を心の中で、

なるべく丁寧に撫でていく。

 

何があったか、どんなことだったかを指で撫でながら、送っていく。

オルゴールが音を奏でるのように思い出をはじく。

 

撫でながら、僕は、酒で気持ちよくなって歌う。

 

ジングルベール、ジングルベール、

クリスマス〜♪

 

と。

 

ソウスケさん、また会いましょう。

 
 
 

ひかる

六本木には地下鉄で向かった。


休日ではあったが、消化しききれなかった仕事を

上野のオフィスで片付け、地下鉄で向かう。

日比谷線から六本木通りへとあがる。

辺りは暗く、寒かった。

 

時期は年の瀬で、街は慌ただしく、赤青黄色、大小様々なネオンが光る。

早歩きの人が行き交う六本木の街で、

僕は少し晴れやかだった。町並みのせいで悦に入っていたし、

消化した仕事がスッキリと排泄されたような気分でもあったし、

なによりも、この六本木での予定が僕を晴れやかな気持ちにさせていた。

 

僕にはあまり縁もゆかりもない街だけれども、

今日は生駒さん、津留さん、そしてヨーコさん、僕の妻とで

アビーロード」というお店で、僕と生駒さんの大好きな

ビートルズのコピーバンドのライブを見に来ることになっていた。

 

六本木通りから、ミッドタウンの方へ向かい、少し手前の

街路を曲がり、地下に潜ると「アビーロード」はある。

毎日ビートルズ好きの観衆とバンド達が集まり、往年の名曲の生ライブを聞きながら、イギリスの郷

土料理とその土地のお酒を楽しむという、何とも僕に取っては、たまらない場所であった。

 

「なんや、変わらんな」と生駒氏が笑顔でつぶやき、

 

「本当変わらないよねぇ〜…また忙しくしてるんでしょう?」

と津留氏が笑顔で投げ掛けてくれる。

 

その間で、ヨーコさん《僕の妻》は高笑いをしながら、キョロキョロとしゃべり手へと目をやる。

 

席について、各々食べ物と飲み物を食べる。

津留氏、僕はビールを頼み、お酒の弱い生駒氏はジムバック。

 

ヨーコさんはソフトドリンクを頼んだ。少し落ち着かない様子だった。

 

(付き合わせちゃったかな…乗る気だったと思うんだけど…)

 

ほどなくして、料理が運ばれる。

その間僕たちはたわいもない仕事の話や、昔話、

そしてビートルズの話をした。ビートルズの話は

僕と生駒さんがして、津留くんが笑顔で

相づちを打ってくれるというような構図だった。

 

その間も、ヨーコさんはニコニコしているだけで、

手元の紙製のおしぼりを閉じたり、開いたり、

丸めていたりするだけだった。

 

バンド達がスタンバイをする。

お決まりのナンバー「she love you」から始まり、

初期の曲を奏でる。

 

店内は満員で、最前列の女性は

胸に手を当て、まるで本当にそのステージに

熱いまなざしを送り、彼女に習うかのように、

他のみんなも、ステージに目をやる。

 

僕は、間、間でヨーコさんをちらちら見る。

表情は柔らかで楽しそうである。けれど、いつもと違う。

 

(こりゃ…なんかあったな…あとで聞かなきゃ…)

 

 

ライブは30分程度で一度小休止。バンド達は

控え室に一度戻り、その間はBGMが少し流れ、

店内は静かになる。

 

皆ステージのほうから、カラダを戻し、食べ物や、飲み物のほうへと

カラダを向ける。にこやかに笑いながら、皆しゃべり始める。

僕はそれと同時にカラダをヨーコさんのほうへと向けた。

他の二人には気づかれないように、語りかける。

 

 

「ねぇ…ごめん…ちょっと、イメージと違ったかな?」

 

 

「え!…ううん、とっても楽しいよ」

 

 

「そうか、それならいいんだけど…なんか変だなって思って」

 

 

「ん〜…そうかな?」

 

 

「そうだよ、なんかあったんでしょう?分かり易いからね、ヨーコさんは」

 

 

「そうかな…あとでしゃべるよ」

 

 

「…えええええ…なになに…そんなこと言われちゃったら
 気になって仕方ないよ。ステージじゃなくて、ヨーコさんのほう
 見ておこうかな…」

 

 

「いや〜…いまは言いたくない」

「えええええ」

「わかったわかった!!いま言うけど、びっくりしないでよ」

 

「うん」

 

「二人にも内緒」

 

「うん」

 

代わる代わる耳元を見て、ひそひそ喋るのをやめて、

一度を顔を向き合う。

 

そして、彼女が人差し指で僕を呼ぶ。

僕はまた彼女の口元に耳を近づける。

 

「…あのね…赤ちゃんができたの、私たちの…二人の子供だよ」

 

あたりが暗くなる。

 

皆ははステージへとカラダを向ける。

僕たちだけが向き合っていて、彼女は笑顔で、僕は驚いた顔で。

 

ミラーボールがゆっくり周る。

反射で、丁寧に、こぼさす光り始める。

それはキレイで、ブリティッシュタイルで敷き詰められた店内を舐め回す。

ステージで、ボーカルがマイクで語り始める。

 

「皆さん、ここからのステージはリクエストを受け付けます。テーブルの紙に
 歌ってほしい曲を書いて、ボーイたちに渡してください」

 

 

僕はそれを聞いて、驚いた顔のママ、

 

紙を手に取って、ペンを走らせる。

 

 

僕の大好きなジョンレノンの「Mother」をリクエストしたくて、ペンを走らせる。

途中笑顔になって、ペンを走らせる。

 

ジョンと一緒で、
僕は、ヨーコのために、この曲を送りたいと思った。

京浜東北線で揺られ帰った。

途中で生駒さんとは分かれ、
電車で二人きりになるまで上の空だった。
そのせいだったのか、少し飲み過ぎていて、
電車の揺れがゆりかごのようで、心地よく、
気を抜くと眠ってしまうような気がした。

 

「ね、驚いてるでしょう?」彼女が聞く。

「驚いたよ!あ、名前は『ひかる』にしよう」

「え!はや!まだ男の子か、女の子も分からないのに!」

 

「どっちでも、大丈夫な名前だよ!『ひかる』
 うん、いいじゃないか。それに、浦川家の子供の名前は
 最後に「る」が付くって決まっているんだから」

 

「確かに、あはは、「わたる」に「とおる」に「すぐる」だものね」

 

「そうそう、だから、ひかる、浦川ひかるがいいじゃないか…」

 

大田区は大森の駅に付き、タクシーに乗る。

歩いて帰るのはカラダに負担を掛けてしまうかもしれない。

車中では特に話さなかった。

 

けれど、前を向いて二人で笑っていた。

外を見やると、車は第一京浜沿いの道にさしかかっていて、オレンジ色の

街灯が整列して、等間隔で、通り過ぎていく。

 

丁寧に、目で追いながら、僕はいつかの「ほおづき」を

思い出して、「俺も父親になったよ」と窓に向かって、つぶやいた。