まいにちショウアクのすけ

平日の日課として、書いて、書いて、書いて!

僕に起きた奇妙な体験 その4「車にて」

すごく短い話。

車にて

友人の車に乗り、ホームセンターに寄ったときだった。洗剤を買いたいという友人を車の中で待っているとき、コンコンと自分の座っている助手席の窓を叩かれた。

外には作業着のような格好、痩せていて眉毛の間に産毛をたっぷり生やした男が立っていた。窓越しに『なんですか?』と僕が言うと、
眉毛に(窓を開けろ)とジェスチャーを返された。

窓を少しだけ開けて、なんですか?とまた僕が言うと、眉毛が窓の隙間からハリセンのように折られた紙を渡された。

なんだろうと思って、ハリセンを開く。

すると紙いっぱいに、殴り書きで、びっしり、

信じて!信じて!信じて!信じて!信じて!
信じて!信じて!信じて!信じて!信じて!
信じて!信じて!信じて!信じて!信じて!

と書かれていた。

驚いて、ハリセンから窓へと目を戻すと、走って逃げる男の後ろ姿が見えた。

なぜかめちゃめちゃ怖かったし、
あの男のことを、絶対、金輪際、いや初めから1ミリも、信じられないと思った。

 

お題「これって私だけ?」

僕に起きた奇妙な体験 その3 「ガードレール」

1番肝を冷やした経験だ。
これを超える経験はまだないし、
これを超える経験を、できればしたくない。

ガードレール

卒業旅行で湯畑に行った。
湯畑の一角からは少し離れた場所に宿を取っていて、温泉プールの隣接した大きなホテルだった。旅行のメンバーの中には女の子もいて、プールがあれば、彼女らの水着姿を見れるのではという無粋から、そのホテルにした。

日中はプールに入り、バイキング形式の夕食を済ませ、夜中に男たちだけでトランプをした。
(女の子たちはプールに入らなかったし、バイキングはおいしくもなかった。)

トランプで大貧民をやった。
最初は盛り上がったものの、すぐに飽きた。皆、この卒業旅行にスリルとドラマ、そしてアバンチュールが足りないと思っていた。何か、最後の『はしゃぎ』というか、自分たちだけの思い出となるような体験を作りたいと思って悶々としていた。

そこで友人の1人が、湯畑まで走って競争しないか?と提案した。

『ホテルから湯畑まで歩いて30分程度、走れば10分くらいだろう、走れるだろう、夜道を爆速しようぜ!』とやる気満々の友人を尻目に、他のものたちはあまり乗る気ではなかった。

なんとなくその提案した友人が可愛そうだと思った、それにこのまま寝るのはなんとなくもったいないと思った僕は、その提案に乗った。
2人ですぐさま部屋を飛び出し、ホテルの外に広がる墨色の夜道に繰り出した。

夜の山道は、真っ暗で曲がり角ごとに小さな街灯があるだけだった。街灯はシャワーヘッドのような形で、柱の部分が、周りの樹木の幹に比べるとなんとも細く、貧相に思った。

2人でその街灯を目指して走っていた。友人は陸上部で足が速く、僕の5メートル先くらいを走っていた。僕はもう息が上がっていた。

1つ目のシャワーヘッドを曲がる直後に、2つ目の街灯が目に入った。

やけに明るく見える。シャワーヘッドの足元には白いガードレールがあった。
よく見るとガードレールと地面の間の隙間が光っていて、そのせいで曲がり角一帯が明るく見えていたのである。

事故を避けるための反射板でも貼ってあるのかな?と思った。
しかしそうではなかった。
そうではないことは、すぐに分かった。

ガードレールの下から、たくさん光る顔がこちらを覗いていた。ちょうど鼻から上の顔が頬をくっ付けるようにびっしりと並んでいた。男もいれば女もいた。目は無表情で、1人も例外なく、こちらをじっとみている。

はぁ!!と声を上げたとき、少し前方を走っていた友人が、急に方向を変え、元来た道へと踵を返した。

自分も倣って、ホテルの方向へと、声を上げながら走る。友人は走っている間、お前にも見えた?!と声を上げた。

自分だけじゃないんだ。そう思って、肯定の声を上げたかったが、息切れと混乱でなにも返事ができなかった。

ホテルに着き、友人たちにガードレールの話をした。一生懸命2人で話したが、皆信じてくれない。

嘘こけ、嘘じゃない、じゃあ明日見に行こう、いややめとこう、嘘なんか?、嘘じゃない、じゃあ行こうということで、翌日友人たち全員で、そのガードレールを見に行った。

チェックアウトのあと山道を歩いた。
昨日とは変わって、辺り一帯明るく、空気の澄んだ、気持ちの良い山道だった。時たま湯畑を目指す大型観光バスが通っていった。

昨晩の曲がり角に顔たちはいなかった。シャワーヘッドと寂しく突っ立っている。シャワーヘッドに寄りかかりながら『嘘やんけ』と茶化す友人たちの中、自分と走った友人だけは言葉を失って、顔を見合わた。

そこには、ガードレール自体がなかった。

お題「これって私だけ?」

僕に起きた奇妙な体験 その2 「ドボン」

中学3年生の時である。
中学3年生の1年間は、人生で1番奇妙な体験が多かったような気がする。

ドボン

夏場、塾に行く前に風呂に入った。
クーラーのない自室で、扇風機を回しながら勉強をしていて、汗だくであった。汗臭かった。
このまま塾に行くのは気が引ける、シャワーだけでも浴びようと思って、風呂に入って頭を洗っていた。

シャンプーを髪になじませて、ゴシゴシと洗っている時、急に鳥肌が立ち始め、嫌な予感がし始めた。(この時には不思議な初体験は済ませていた。その時にこういった体験には予感があるということをなんとなく学習していた)

すると急に蓋の閉まった風呂釜から、何か重いものを水面に落としたような音、

ドボンっという大きな音がした。

びっくりして、風呂場から飛び出した。シャンプーで泡立った頭もそのまま、ひゃぁ!というような情け無い声を出して風呂場のドアを開けはなち、脱衣所へと飛び出した。

なぜ蓋をしていたのに、風呂釜からドボンっと音がしたんだろうとその時に思った。(飛び出したのは、嫌な予感からの急な音が原因だったと記憶している)

肩を縮こませ、じっと風呂場の方を見つめながら佇んでいると、母が「どうしたの?!」とものすごい剣幕で脱衣所に入ってきた。
僕の情け無い声を聞きつけて、慌てて入ってきたのである。

母に事情を説明したが、なにそれ?といった感じだった。母は根っからそういった類の話を信じない人だった。

「それより脱衣所の泡とか水滴、ちゃんと綺麗にしといてね。掃除、私はしないからね」

とそっけなく母は言って、脱衣所を出て行く。
僕は分かってるよと答えた。分かってはなかったが、分かってると答えた。

そのあとシャンプーを風呂場で洗い流し、脱衣所も綺麗にして塾に向かった。不思議に怖くなかった。母の冷静な態度のおかげだと思う。

炎天下の中、自転車で塾に向かう途中、久しぶりに母に裸を見られたと思った。
何故だか、妙に腹立たしくなっていた。
母にでもなく、もちろん自分にでもなく、ドボンにでもなく、行き場のない苛立ちだったように記憶している。

塾につく時には汗だくだった。

お題「これって私だけ?」

僕に起きた奇妙な体験 その1 「ひょっこりおばさん」

まえがき

幽霊を見たというような話、怪談話をすることを生業にする人、あるいはそれを得意とする人がいる。その中で、どの程度の話が嘘偽りのない真実を語る話であるかは分からないが、そういう現象、話、人々が、「本当に」いるんではないかと僕は考えている。

なぜなら僕自身、32年の人生の中で、何度かそんな類の体験をしてきたからだ。

そんなに数はない。
詳細は思い出せない些細なものから、その場で面食らい、恐怖で体が小刻みに震えるようなもの、度合いは様々である。

なるべく脚色なく語って行きたいと思う。
真正面から、なるべくはっきりと、あったことを描ければと思う。

ひょっこりおばさん

当時25歳くらいであった。当時は大手広告制作会社に勤めていた。
深夜まで働くことが常で、その日もいつも通り終電で帰宅した。

自宅のある池袋駅に着き、家路を急いでいた。確か2月ごろで、とても寒く、なるべく体を温めるためもあり早歩きで、姿勢を正して前を向き歩いていた。

池袋の駅前は歓楽街である。しかし、僕の自宅があった北口付近は、少し歩くと戸建住宅がちらほら見えてくる。どの家も裕福そうで、比較的しっかりした石塀に囲まれた古風な住宅だ。地主さんが住んでいたのかもしれない。

歩いていると、30メートルくらいさきの石垣から、おばさんが顔だけ出してこちらを見ている。笑顔で、髪型はボリュームのあるパーマ、細かいディテールまで覚えていないが、どこにでもいる50代くらいのおばさんだった。

なんだろう?とは思ったが、不思議には思わなかった。なぜなら僕の数メートル後ろに、ベビーカーを押して、楽しそうに会話する夫婦がいて、彼らに投げかけられる笑顔だと解釈したからだ。

あまり気にせず歩いていると、顔が石塀の影に引っ込む。と思うとまた顔がでる。また引っ込む。

何度かその繰り返しをしていた。顔を出すときはスピードがついていた。ベビーカーの赤ちゃんに対するアヤシなのかなと思った。この夫婦どちらかの実家で、久しぶりの子と孫の帰省に喜んでふざけているのかなと思った。

そんなことを思いながら足早に歩いて、進む。あまり見ては悪いと思って、なるべく前を見て歩いていたが、ふと顔を出していた辺りを通り過ぎるとき、何気なくその顔がでてきていたところ、おばさんがいるであろうところを見て唖然とした。

誰もいないのである。それにその場所には、ただ石塀が平らに伸びているだけで、人が隠れられるようなくぼみも隙間もないのである。

ギョッとして立ち止まり、石塀をじっと見つめる僕を夫婦が追い抜いていく。すれ違うとき、僕の方に警戒しているのがわかった。変な顔をしていたんだと思う。

立ち止まったせいで汗が冷えたからか、それともよくわからないこの状況からか、急に寒気がした僕は走って家までの道を急いだ。

それからその道は通らずに遠回りして帰った。

しばらくの間、シャンプーをするときや、曲がり角、何かのくぼみを見つけたとき、またあの顔がひょっこり出てくるのではないかと、怖かった。

池袋からは引っ越した。

 

お題「これって私だけ?」

風に吹かれて

年末年始の休み、週末、成人の日をつなげ、12連休をもらった。

就職してから、こんなに長い休みは、初めてのことだ。かといってどこかに旅行に行くわけでもなく、年末は家の大掃除、年始には妻と僕、互いの実家に年始挨拶に出かけるといった感じで、典型的な、何の変哲もない、穏やかで平坦な毎日を過ごしていた。

毎日、誰のためにもならない冷風が、家の前の大通りを滑っていく。僕の住む西東京市は、田畑が広がる緑豊かな平地地帯だ。その凹凸のない土地の西側には、秩父の山岳地帯が面していて、強く、冷たい風がこの季節、毎日のように吹く。

「こう寒いと、外で遊ぶのもいやだねぇ。家が一番だねぇ。」

そう2歳になる息子に妻が言い聞かせる。

「いや、こういうときこそ、外で走り回るのが気持ちいいんだよ。空気が澄み切っていて、気持ちが良いし、肌を刺激するような冷たさが、体を強くするものなんだよ。」

「風邪引いたら、面倒見てくれる?それならいいよ?連れて行っても?」

「もちろんだとも!」

啖呵を切って、息子を外に連れ出す。カートに息子を乗せて、小走りで押しながら、近くの公園に向かう。
息子はまだ2歳。園内にある滑り台やターザンロープ、アスレチックはもちろんできず、走り回るか、園内にある丸太の階段を登ったり降りたりを繰り返すか、ブランコに揺られるか程度しかできない。

「いいかい、今度は滑り台に挑戦してみよう」

「いやーこわいもん」

「一回やってみよう。横で見ていてあげるから。ね、一度やってみて、それから帰ろう」

「いやーだめー」

ブランコに乗りながら、このやり取りをしてから毎日家路へとつく。
1日も欠かさず、息子と外でこの休み遊んだ。些細なことで、彼の発育や教育に一切良い影響があったとは思えないけれど、彼が生まれてから、初めてこんなに長い時間を一緒に過ごしたような気がした。

寝るときも一緒であった。同じ布団に、顔を向かい合わせながら潜った。眠りにつくまで、同じ時間を吸い込んで、彼はクスクスと笑い声を吐き出し、僕は彼に話すために作った教訓じみた童話を吐き出した。

「パパ、コーヒーくちゃい」

自分でもそう思う。苦くて、こもった臭い。

打って変わって、彼の息は、甘いバター菓子のような匂いで、同じ空気を吸っているのに、こうも違うのかと思った。

「いつかおまえもそうなるよ。そうなったときに、二人でお話をまたしよう。そしたら、そうだったらパパうれしいなぁ〜」

僕がそう言い終わる前に、息子は眠りに入っていたようだった。

 

初夢は、まだみれていない。

ついで、ついで

終電車は、すでに終わっていた。

品川駅港南口には、飲み過ぎてしまったサラリーマンたちが、タクシーの配車を待って長蛇の列を作っていた。もちろん、僕もその中の一人。

タクシーに乗って、少ししてからだった。

雨が降り出した。

「急に降りましたね、お客さんラッキーですよ」

「本当ですね、最近多いですよねぇ」

個人タクシーの車内は快適な冷房と、法人タクシーではあまり味わえない快適なシートが僕の背中をフォローしてくれていた。

「お客さん、お仕事ですか?」

「いいえ、今日は会社のメンバーと飲んできました。

 期末だということもあって決起会のようなものです」

「なるほど、今日は金曜ですし、遅くまで?」

「ええ、それに今日は私の誕生日を祝ってくれたんです」

「そりゃいい。おいくつになられたのですか?」

「31歳です。」

「お若い!いいですなぁ〜私なんてもう、その倍くらいの年齢ですよ」

「運転手さんこそお若いですよ、みえないです。」

「ありがとうございます、しかし年をとるというのは嫌なものです」

そう言って運転手のおじさんは、大きく右にハンドルを切って第一京浜へと曲がった。

京浜急行の高架下が、僕たちの乗る車両の頭上をかすめていった。

9月7日。僕の誕生日だ。子どものころ、夏休みが終わり少しして、

まだ暑さの残るこの時期に僕の誕生日は配置されていて、

幼いころは、お盆に祖父祖母からもらったお小遣いを元手に、

いろんなものを買ってもらったような気がする。

とっても罰当たりだけど、何を買ってもらっただろうと思い返しても、

思い出せるのはほんの数点で、それ以外は何を買ってもらったかを

あまり思い出せない。

誕生日には、家の近所にある「シェトレーゼ」というリーズナブルな

ケーキを販売する洋菓子店で、かならず「スターダスト」というチョコレートケーキを

買ってもらった。ホールケーキではなく、切り売りされたケーキの方が、

いろんな味を楽しめることもあって、我が家では、あまり誕生日にホールケーキは出てこない。晩御飯は指定した好物を両親が作ってくれた。

からあげ、スバゲッティ、カレー、ハンバーグ、餃子、焼きうどん、

自分のその時食べたいものを、数日前から指定しておき、最終チェックが当日の朝入る。

「今日の晩御飯は、本当にからあげ?」

「えっと、、、そうだな、、、ちょっとまって、、、、えっと、、、」

朝学校に向かう玄関先で、靴ひもをあたふた結びながら、その最後の決断に

へきもきしながら、僕は毎回答えていたような気がする。

晩御飯を食べたあと、すぐにはケーキを食べない。

指定の好物を食べるため、晩御飯がフィニッシュしているときは

たらふく食べている。満腹に食べている。

お風呂に入り、少しテレビを見て、軽いストレッチなんかをして

お腹を空かせる。そして、ケーキを、約3時間程度あと、大体夜の9時ごろに

食べ始めるのだ。

 

「今日は誕生日だからさ、ドラマみてもいいよね?」

 

夜更かしを懇願する。通常であればもう寝る時間。

「今日だけよ」とにこやかに答えてくれる両親を尻目に、ちびちび、ちびちびケーキを食べながら、10時ごろまで眠い目をこすりながら、粘るのだ。

 

2階の部屋に上がる。当時の僕の部屋は、壁紙が雲の模様で、日当たりのよい部屋だった。12畳ほどの空間を、弟と二人シェアをして、学習机、ベット、ミニ四駆キット、どれも例外なく2セットずつ置かれた室内で、勉強をしたり、ゲームをして遊んだり、寝る間際まで弟と話をしたりして過ごした。

(僕はあまり勉強をしてはいなかった)

誕生日の日は決まって、寝つきが悪かった。

出窓を見ると、自分の通っていた小学校の校庭が見えた。

そこには大きな気でできたボールの壁打ちができる看板のようなものがあって、人影はいなくとも、なぜか、夜になると、音がする。がこん、がこんとおそらく風に当たってその鳴る看板を、じーっと見ながら

物思いに耽る。

(自分の誕生日、生まれた日。

反対に僕はいったい、いつまで生きられるのだろう、、、)

そんなよからぬ、答えもないことを考え始めて、強くなる。

そして、タオルケットにくるまって、エアコンの効いた室内で、

丸くなって、僕は眠る。

第一京浜から環七に差し掛かる交差点で、タクシーは止まった。

「いつの時代もそうなんですな。子供のときの誕生日ってのは特別な日なんですな。

 お客さん、私もね、子供のとき、誕生日にもらった駄賃で爆竹を買ってもらって」

「爆竹ですか?火薬の?」

「ええ。で、それを、ながーい筒の先に入れて、もう一方の筒に、ダンゴムシとかカマキリとかイナゴとかをつめるんですわ。そうすると、びゅーんって飛ぶんですよ。それが楽しくてやっていたらね、ばあさんに見つかりましてね、そりゃもう怒られましたよ。【祝い金でそんな残酷なことする罰当たりみたことない!】ってね。残酷ですよ、子供ってのは」

「あはは、時代を感じますね、でも、子供ってそういうところありますよね」

信号が変わりゆっくりとタクシーが動く。

雨はもうやんでいた。

「夢をみたよ、不思議だった」

「え、どんな夢?」

お盆にはかならず母方の祖母の家に泊まる。

僕は祖母との話が楽しみで、泊まった日はかならず、朝5時ごろ起きて、

祖母の寝ている部屋まで行く。

祖母はもう起きていて、僕が起きてくるのを知ってか、

お茶を沸かして待っていてくれる。

「多分航だと思うのだけど、赤ん坊をね、桶に水を張って、お風呂に入れているのよ。暑い日で、かわいそうだなって思ってね」

「え、、、怖い話?」

「ううん、それでね、お風呂入れた後に、その水で私も髪を洗うのだけど、それがとっても気持ちが良くて、気が付いたら、髪の毛が黒々してるのよ!」

「へー若返りの水だ」

「そう、不思議でしょう」

祖母は長年、風水というハートカバーの日記帳にいろんなことを書き留めていた。その日みた夢や、当時90年代に起こった社会問題や事件についての自身の考え、そういったものをまとめた日記だった。

その中にこの話も記載されていて、話はここで終わっていたが、以下のような短歌なのか、詩なのか、それとも、書付なのか、1文書いてあった。

 

「つがれたものしかつぎ足せない。ついでついでいくのが、親と子よ」

 

この一節、全く忘れていたけれど、最近になってようやく僕自身も、この考えを少し理解できたような気がする。

31年。僕は人生において、自分のために生きてきた。自分の財産、それは知的部分や経験的なところも含めて、僕という容器にたくさんの水を入れたいという思いで、生きてきた。

子供ができて、その容器に入れるだけでは、人生ではないと思った。

子供の容器ができたのだ。

その容器に、できるだけ多くのものを注いであげたい。そのためには、僕自身もたくさん注いで持ち運び、子供のところまで運ばなくてはならない。

 

「ついでついで」は

「継いで」であり「注いで」ということだったんじゃないか。そう思う。

 

なんというか、人生の主人公交代が行われた感じ。それは悲観的な意味ではなく、とても深みを持った、そして視野が広がる、ポジティブな体験だ。これから、僕が注ぐこの容器がどうなっていくかは、僕の容器の体積と、注げる頻度と、そしてなにより注ぎ口や注ぎ方にかかっていると思うと、身が締まるのだ。

 

「着きました。お客さん、お代は結構です。

 私からの誕生日プレゼントだと思ってください」

 

「え!そんな!ダメですよ!」

 

「大丈夫ですよ、個人ですしね、それくらいは自分で決めれます」

 

「でも、、、」

 

「じゃあ、今度長距離乗るときは、電話してください。またご贔屓に」

そう言って、運転手は僕を下ろし、去っていった。少し歩いて、家に着いた。明かりは消えていて、風呂に入ってからリビングにいくと隣の寝室で、息子も妻も、同じ格好で、眠っているのが見えた。

リビングを歩いて、寝室の方に向かうと、足の裏に何かが刺さる。

弟にもらった、息子の誕生日祝いのブロックだった。

あたりに散らばった、そのブロックを一つ一つ拾っていく。

そして、音をたてないように、一つ一つそっと箱に戻していく。

何かの形に組み立てられたそれを、手にとっては

「これは鳥の形を作ったのかな?」

「これは車だな」

なんてことを一人小声でつぶやきながら、

真っ暗な部屋の中、背中を丸くして、

僕はその断片を、そのままの形で戻していった。

読書で人生。

今週のお題「読書の夏」

 

夏休みの課題図書というものがある。小学生のときである。

課題図書とされる本を読んで、読書感想文を提出するという

夏休み中に消化しなくてはならない宿題のひとつである。

 

当時の僕は、読書というものがあまり、いやまったく好きではなかった。

 

じっとしていられなかった。

じっと、本とにらめっこ。

当時のぼくにとってそれは、国語の授業の延長線上でしかなかった。

そんなことよりも、他にやらなきゃいけないことがたくさんあった。

 

近所の材木工場のオカクズの山に、まだ日が昇る前、自転車で向かい、

虫取りもしなくてはならないし、お盆のお小遣いで買ってもらったゲームを

やらなくてはならないし、アイスも食べないといけないし、児童館でみんなと

待ち合わせして、近くのどんぐり公園に、サッカーをしに行かなくてはならなかった。

プールもいなかくてはならない、自転車で商店街をだれが一番早く渡りきれるかの勝負

もしなくてはならない、すいかも食べないといけない、

街のお祭りで神輿も担がなくてはならない…!!

 

家でじっと本とにらめっこしている時間なんて、ぼくにはなかったのである。

 

とはいっても、夏休みの終わりに、両親にケツを叩かれ、宿題をしていく流れで

この読書感想文というものと、向き合わなくてはならない時が来る。

 

(長い、なんて長い文章なんだ、こんな本、読んでいたら、

夏休みが空けてしまう、やばい、どうしよ、もう、どうしよ…)

 

読んでいても頭に入らない。タイムリミットを意識するせいで、焦る。

そのせいで、まったくもって頭にストーリーが入ってこない。

読み慣れていないせいで、同じ文を何度も読んでしまう。

登場人物の名前が覚えられない。漢字でつまづく。ページをめくる行為でさえ

慣れておらず、全くぜんぜん進まない。

 

そんなこんなで、ギブアップ。

その本のあとがきだけ読んで、なんとなく選択した文の抜粋で、

なんとなく感想文を書いて、なんとなく、しれっと宿題を出す夏休みを、

6年間続けていた。

 

「読書なんてするやつの気がしれないや」

 

夏休みが終わった9月頭に、毎年そう思って、課題図書のその本をゴミ箱に

投げ入れた。

 

 

高校生になった。当時ぼくの通った高校には、ぼくの所属する普通科以外に

理数科というコースがあり、普通科と理数科の間には、越えられない、万里の道とも

感じる偏差値の差があった。

(ぼくはその低いほうの普通科の試験でさえ、本当にギリギリで受かっていた)

 

その理数科にいるある女の子に恋をした。その子は読書好きで、

三島由紀夫が大好きだった。ぼくはその子となんとか近づきたく、

三島由紀夫なんてまったく興味がないのに、その子に本を借りて、

一生懸命読むということを続けていた。

 

仮面の告白」と「金閣寺」を夏休み前に借りた。

夏休み中に読むからといって、2冊借りたのである。一生懸命読んだ。

わからない言葉は辞書で引き、借りた本を丁寧に丁寧に読んだ。

もともとガサツな性格のぼくだから、ページを折り曲げてしまうんじゃないかという

思いから、本当に1ページ1ページを、丁寧に指でそっとつまんで読んでいった。

 

夏休みが空けて、彼女に本を返そうと意気揚々と通学していった。

高校には、最寄りの駅から15分程度歩いて通っていた。

 

空が青く、田舎道の両端にある田園は青々と茂り、導火線の緑色に似ていた。

爆発寸前の生命力のようなものを感じた、清々しかった。

 

高校の校門まで差し掛かると、彼女がいた。

親しげに、普通科の男としゃべっていた。

 

手をつないでいた。

 

この夏休みのインターバルの間に、その男はゴールを決めていたのである。

ぼくがチマチマ、ウォーミングアップしている間に、彼は、フィニッシュを

決めていた。

 

彼女はみたこともないような楽しそうな顔で、その男と話しながら、

校門をくぐっていった。その男は、三島由紀夫の美学とは程遠いような

金髪の、今時の、チャラチャラとしたバンドマンだった。

 

ぐっと夏休み明けの校門をくぐるのが、辛く感じた。

 

もう告白なんてどうでもいいし、なんなら俺も、

この高校に火でもつけてやろうかと、思いながら、重たい気持ちで

校門を僕はくぐった。

 

 

今この文章を、病院近くのホテルで書いている。

今年で30歳になった僕は、小学生の頃には考えられないような読書好きに

なってしまった。唯一の楽しみと言っていいほど読書が好きだ。

 

この病院に来るとき、かならず数冊の本をもって出かける。

 

また、高校のときには想像もつかなかったけど、幸せな恋をして、

幸せな結婚もした。

 

そして、その次の幸せである「子供の誕生」を待っている。落ち着かない心を

なんとか活字で、読書で整えようとしている。

 

本を閉じて、この文章を書いている。

 

「僕」という人間のストーリーを、一枚一枚丁寧にめくりながら、

新しく綴られるドラマチックな続きを想像している。

 

何が起こるかは正直わからない。でも、読み続けることが大切だと思う。

 

だから、僕は、次の文章、次の一文字にわくわくしながら、

この先も、人生の読書を続けたいと、思う。

 

本当に、そう思う。