まいにちショウアクのすけ

平日の日課として、書いて、書いて、書いて!

誰がために

「ところで、最後に聞きたいのだけれど、浦川くん、きみの文作の
 師は誰だと思う?」

 

「あ、はい…帆士ハルヨだと思います」

 

「えっと…ごめんなさい、私不勉強かな。

 その作家さんは初めて聞くな。随筆家さんか、なにかかな?」

 

「いえ、違います。僕の祖母です…」

 

喫茶店の外では、仮装をした若者たちが楽しそうに笑っていて、賑
やかだった。花束を持った女性がニコニコして、こちらを見ている。

 

ウインドに映った自分の顔を見ているようだった。

祖母は、もともと字が書けなかった。読むこともままならなかった。

そんな祖母が、字を覚えるきっかけになったのは、小学生になる僕

が祖母の元を離れ、埼玉の北部に引越すことになったときだ。

 

「航と手紙で、やりとりなんかできたらいいのにね…

 そうだね、航、一緒に字の勉強しようか?!」

 

「うん!!」

やりとりは一週間に一回程度。

最初はお互い平仮名ばかり。

句読点というものも知らず、お互い全くもって読みづらい手紙を送

りあっていた。僕とは違い、すぐに祖母の手紙は、上達していった。

手紙はとっておかなかった。

毎週くるものだから、有る程度溜まると、捨てていた。

今でも、それは後悔しているが、当時それは、捨てるのを厭わない

ほど、日常に根ざした行為だった。

 

祖母の文体は、あまり難しい言葉は使わず、非常にテンポを気にし

た、口に出して読んだ時に、気持ちのいいところで文章が終わるよ

うに調整されたものだった。

 

言い換えや、ギャグも多用していた。

そして、読んでいて暖かくなれる文章だった。

手紙のやりとりは、中学時代くらいまで続いていたが、近くに祖父

母が引越したこともあり、いつの間にかなくなった。

 

それからは、家が近いこともあり、

僕はよく祖父母の家に遊びに行った。遊びに行くと、僕の大好きな

エビフライ、太巻き、スアマを沢山作って振る舞ってくれた。

 

新しい服も買っていてくれた。毎回プレゼントしてくれた。どれも

流行おくれのデザイン、着るととても着心地の良い、暖かい服だっ

た。風邪を引くと困るから、と祖母は言ってくれた。

 

泊りの日は決まって、朝早く起き、祖母の若い頃の話を聞いていた。

祖母も年をとっていたせいで、何度も同じ話をすることがあった。

 

そんな祖母を母方の姉家族は、全く、といった感じで飽きれて、忌

み嫌っていた。

 

「また婆ちゃんが本当か、わからない話をし始めたぞ」と。

 

僕は楽しかった。面白い小説や映画は、何度見ても面白いというこ

とと同じ感覚だった。飽きが来なかった。

 

「航、最近私、これ聞いている。いいよぉ〜」

 

宇多田ヒカルのCDを手渡された。

 

「この子、自分で歌詞を書くんだって。素晴らしい言葉使うんだから」

 

「へぇ、聞いてみるよ。ありがとう」

 

僕と祖母は宇多田ヒカルさんの大ファンになった。祖母は年甲斐も

ないと思われると恥ずかしいからといって、必ずヘッドホンで曲を

聞いていた。お尻をフリフリしながら、聞いていた。

 

そんな祖母をみて、僕はゲラゲラ、ゲラゲラと笑っていた。

 

祖母は時代劇が好きで鬼平犯科帳が特にお気に入りだった。

いつも古い小さなテレビでみていた。

そのテレビの小さな画面で、鬼平が大太刀まわりをしているのをみ

ると、なんだか鬼平も狭っ苦しいと感じてるじゃないかと思うくら

い、小さなテレビだった。

 

だから僕は、新しいのを買いなよ、金には困ってらんでしょ?

付いてって、いいのを見繕うよといって

 

2人を家電屋まで連れて行った。色々僕は店員と交渉し、

薄型の大型テレビを決め、あとは会計だけとなったときに、

僕はトイレに行った。

 

トイレから帰ると、トイレの前で祖父母がニコニコして待っていた。

どうした?と声をかけると、

「じいちゃんと相談して、テレビはやっぱりやめた。その代わりにこれ、航に」

 

といって、僕が始めた一人暮らしのお祝いに炊飯器を買ってくれていた。

鬼平には、もう少し我慢してもらわなきゃだなと僕は思った。

僕が大学を卒業し、就職をして初めての夏だった。

祖母の肝炎が、癌化した。

定期検診で発覚し、すぐさま僕と母が病院に呼び出された。

医者が言うには、手術が1番確実だが、年齢も年齢なので手術には
耐えられない。

放射線治療か、抗がん剤投与をしますとのことだった。

診察の終わり際に祖母は言った。

「体はつよいんです…他のより、断然…強いと思います。

先生、お願いします。切ってください。私はまだ死にたくないです!」

医者や母は反対した。

だが、祖母は聞かなかった。頑固なところのある九州女が祖母だった。

僕はその時、その発言にいたたまれなくて、祖母の手をそっと机の

下で握ろうとした。握ろうとして、祖母の左手の甲触れたとき、そ

の手がかすかに震えていたのを感じて、僕は手を引っ込めた。

 

祖母のその恐怖していることを悟られまいとする努力を、無駄にし

てはならないと思い、僕は手を引っ込めた。

手術は大成功だった。

祖母は完全な退院はできないにしろ、一時帰宅を許された。

そのお祝いに2人で、近くのスーパーで寿司を買って帰った。

その時、祖母から手をつないで帰りたいと言われた。

恥ずかしかったけれど、僕は、何も気にしていない様子で、いいよ
と言って、繋いだ。

とても冷たい手だった。

 

もう1月になっていた。

門松を片付けていない家が、ちらほらあって、2人でその置いてけ
ぼりの門松を数えながら、帰った。

「もう、自宅療養にきりかえましょう」

医者から死の宣告がされた。

いっときは良くなった祖母だったが

その時は痩せ細り、腹水もたまっていた。妊婦のように、腹が膨れ
ていた、もう歩けなかった。

しかし祖母は頑くなだった。

「まだ治るはずだ、まだ大丈夫!

私は退院しない!!」

そう叫んだ。

その場に居合わせた僕は

居た堪れなくて、ボロボロ泣いた。

そして感情が高ぶって、

「婆ちゃん!しっかりしてくれよ!」と叫んでしまった。

叫んだあと、泣きながら、祖母を見た。

祖母も泣いていた。

ボロボロボロボロ、大粒の涙を流していた。

祖母が泣いているのをみたのはそれが初めてだった。

悲しいというより、悔しかったのだと思う。

退院が迫った金曜日の夜、例のように僕は飲み歩いていた。少し忘
れたかったのかもしれない。

電話がなった。病院からだった。

祖母が危篤だと告げられ、

僕は急いでタクシーに乗り、祖母の病院まで急いだ。

婆ちゃんは良く頑張った。

仕方がないんだ、仕方がないんだ、

そう心に言い聞かせながら、僕は病院に向かった。

祖母の手を強く握った。

本当に苦しそうだった。ゼイゼイと息をしていて、意識も朦朧とし
ていた。

僕は早く、楽にしてあげたいと思った。

すると、祖母が目を開け、

そして小さな、本当に小さな、かすれた声で、僕に、ニコっとして
、言った。

「航、もう、いってもいい?」

…そうだ、そうだった。

婆ちゃんは、僕のために、生きてくれていたんだ…

そう、気付いた。

何時でも、どんな時でも、僕のためを思って、生きていてくれたの
だ。

あの手術を強行したことも、

退院を拒んだことも、

エビフライも、ドジャースのジャンバーも、スアマも、楽しい昔話
も、宇多田ヒカルも、全部。

僕のためだった。

ボロボロになりながらも、

そこに居たかったのではなく、

居なくてはならないと

思っていてくれたのだと。

そう気がついて、僕は頷こうとした。

もういいよ、ありがとうと言おうした。でもできなかった。

ただただ、オイオイ泣きながら祖母の顔を見るしかなかった。

それが祖母の最後の言葉となった。

土曜日の朝、祖母はゆっくりと大きく息をはいて、旅立っていった

「後日、祖母の家を片付けにいきました。まぁ家は綺麗に片付いて
 いたので、片付けというよりは、思い出を漁りに行くような形だっ
 たのですけど。で、祖母が昔から使っていた机があって、その引き
 出しの奥にその最初に話した手紙が入っていました。僕が送ったも
 のです。懐かしくて読んでいると、それとは別に、チラシが沢山入
 っていたんです」

 

「チラシ?」

 

「はい、チラシです。裏面が白いチラシです。

 そこには、祖母が僕に送った手紙の下書きがされていました。

 祖母は字が書けなかったので、

 そのチラシに、一文字一文字、練習をしながら書いていたようでし
 た。文章の内容も書いては消し書いては消しを繰り返していたよう

 です。僕は泣きました…」

 

「なるほど…確かにうれしいですね…」

 

「いえ…違います。確かに嬉しかった。

 僕との手紙を大切に思ってくれたのは嬉しかったです。でも違います。

 僕が泣いたのは、それが原因ではありません。

 …どの下書きにもある言葉が一度書かれては、消されていたんです。

 「寂しい」と「会いたい」という言葉です。そんなこと一度も手紙には

 書かれてはいなかった。その強がりに…涙したのです。」

 

少し間を置いて、喫茶店を後にした。

 

「今日は、なんというか、いい話を聞きました。」

 

「暗い話をして本当にすみません…」

 

「いえ!そんな風には思っていませんよ!さぁ浦川さん、行きまし
ょう。外は寒いですよ。」

 

寒かった。外はもう暗かった。

街灯がぼんやりとオレンジ色の灯りをともして、寂しく立っている。

僕はポケットに手を入れながら、それを見上げる。

 

ほおずきに似ていると、思った。