クロックムッシュ
爪のはらのピンク、そんな感じに桜が彩り、どの木もぱぁと枝を広げてバンザイの3月外れ。
僕と空海先生が初めて会ったのは2004年の春だったと思う。
「君さ、なに、コピーライターになりたいんだ?じゃあもっと日本語を勉強しないとだよ、これじゃ難しいよ〜?これね、アンケートの文章、意味わかんないもん」
空海先生から初めて僕に発せられた言葉はこれだったと思う。
(…うわ。なんだか、強烈だなぁ…なんていうか、ちょっと苦手だぁ…)
そしてこれが僕が初めて空海先生の感想だった。
空海先生。干場英男さん。
先生は日本有数の広告代理店で
登りつめ、MBAを持った元CD(クリエイティブディレクター)。
多分僕が初めて出会った当時「憧れの広告業界の人」だった。
先生は、その初授業で、各受講生を見事な言葉刃で、バサバサと切り落としていった。(中には崖から突き落とされた人もいた)
(こ、この授業は、取らないでおこう…)
そう思って、僕は窓の外、綺麗に咲く花たちを見ていた。そんな時、空海先生が僕たちに投げかけた。
「あのさ、アメリカンアイドル見てる人いる?」
へっ?と思った。
アメリカンアイドル、当時CS放送でのみやっていたアメリカの一般公募形の歌手オーディション番組だ。当時、凄く面白かった。
当時はあまり日本では知られていない番組だった。
(この人、この年齢でアメリカンアイドル見てるんだ、、、よく知ってるな、、、)
そう思って窓の外の桜から目線を先生に戻すと、これまた軽快な口調で見事に番組の面白さを語っていった。
「あの、サイモンていう辛口評論家いいよねぇ〜…もう悲惨でみてらんないようなやつもいてさぁ〜…あ、もう授業終わりだね。この授業取りたい人は、最後に受講カードだして。まぁ、別に強制じゃないからさ」
帰りのバスに揺れていた。
バスのなかで何と無く、先生の事を思い出していた。
(あの人はいったいどんな人なんだろう…)
空海先生の授業では時たま課題が出された。
心に残った言葉、
などなど。
毎回帰ってくる提出物には「意味がわからない」や「はぁ?」などの言葉が並んでいた。
僕は落第生という言葉がピッタリだった。
ただ僕は当時、悔しくて悔しくて、「なんであんなひどいこと書くんだ」と問い詰めてやろうと鼻息ふいふい、ある日の授業後、先生が開いていたお茶会に参加した。
僕のほかにも何人かの生徒がお茶会には参加していた。
各々席に座り、各々注文。
僕はアメリカンを注文した。
先生の番になる。
「クロックムッシュちょうだい」
(なんだぁ?クロックムッシュって?)
僕は生まれて初めてクロックムッシュをその時見たのである。
「いい匂い…!なんて美味しそうな食べ物なんだろう…!」
先生の口に運ばれるそれに心奪われ
いると、先生は息もつかず話し始めた。
いろいろな話。
学生運動の話、
岡さんの話、
そしてアメリカの生活の話。
アメリカの話は、僕にはとても刺激的な、魅力的な話だった。
そして思った。
(僕は、クロックムッシュさえ知らない…
そんな僕が、世間知らずの僕が、反論したって、口喧嘩したって、この人に勝てっこない…)
小さい頃、僕はパン屋さんになりたかった。
その次はバスケット選手、
その次は大工、
そして
コピーライター、
漠然と、本当に漠然と
何かになれると思っていた。
僕はその時、初めて、生まれて初めて、何にもなれないかもしれないと思っていた。真っ黒の、絶望だった。
その時の僕の文章は、
いや、文章だけではなく、
その時の僕自身そのものが、非論理的で、読み手に不親切な、奇を衒うだけの(便所の紙にもならない代物)だった。
紙っぺらだった。
、
、
、
、
月日は経ち、就職活動が始まって、そしてあっという間に終わっていった。
空海先生の予想とおり、
僕はコピーライターにはなれなかった。
同期の、仲の良いメンバーは、広告代理店に就職していった。僕も受けた。が、落ちた。どれもこれもあれも、落ちた。悔しくてたまらなかった。
桜は散っていた。3月の終わり、寒々しい日だった。
僕は大学を卒業した。
僕はノベルティやアパレルの商品を制作するSPの会社に営業職で就職した。少しでも広告業界の近くで働きたかった。
僕の上司は
人殺しのような、
いや殺してるんだろうなっていうくらい怖い目つきをしたKさんだった。
しこたま怒られた。
やることなすこと怒られた。
小銭をポケットに入れるな、
メールはワンツーで返せ、
お前の営業スタイルはお通夜営業か、
自分で考えろ、聞くな。
分かりやすく説明しろ。端的に。
爪切れ。服装整えろ。ダサい格好するな。
365日、365回以上、怒られた。
一時、話かけられるだけで、胃が痛くなった。
そんな日々が一年続いた。
少しずつ怒られなくなり、仕事も自分で回すようになったとき、仕事が楽しくなってきた。楽しくてたまらなくなっていた。
少しずつできることが増えるたび、僕は、何かになれたんじゃないかと希望を持って、嬉しく思っていたのだ。
そんな当時、世間ではmixiがまだ一般的にやられていて、その中で空海先生の名前を見つけた。
リベンジしたいと思った。
分からないけど、今の僕を書いて、ありのままを、なるべく空海先生に分かりやすく伝わるように書いて、コメントをもらえるだろうか。
イイとか、お褒めの言葉はもらえないかもだけど、コメントが帰ってきたら、、もう一度、広告制作の道を、リベンジする糧になるんじゃないかな、、、そう思った。
それから時間を見つけて、なるべく間をあけず、定期的に日記を更新した。
そして、3ヶ月くらい続けていたある日、先生からコメントがあった。
「なんか人間がまっすぐになったんじゃないの?」
嬉しかった。褒められないにしろ、空海先生がコメントを残してくれたことが嬉しかった。キーボードをうち、わざわざコメントを残してくれたことが嬉しかったのである。
それから、紆余曲折、転職のすえ、僕はいまの会社に入った。今はまだまだ半人前だけれど、いつか空海先生に「いいね」と言われるようなものが残せるように精進したいと思う。
そして、僕に絶望と希望を与えてくれた空海先生といつか、
クロックムッシュを一緒に食べながら、お茶会ができたらなって思う。
本当に、そう思う。