ついで、ついで
最終電車は、すでに終わっていた。
品川駅港南口には、飲み過ぎてしまったサラリーマンたちが、タクシーの配車を待って長蛇の列を作っていた。もちろん、僕もその中の一人。
タクシーに乗って、少ししてからだった。
雨が降り出した。
「急に降りましたね、お客さんラッキーですよ」
「本当ですね、最近多いですよねぇ」
個人タクシーの車内は快適な冷房と、法人タクシーではあまり味わえない快適なシートが僕の背中をフォローしてくれていた。
「お客さん、お仕事ですか?」
「いいえ、今日は会社のメンバーと飲んできました。
期末だということもあって決起会のようなものです」
「なるほど、今日は金曜ですし、遅くまで?」
「ええ、それに今日は私の誕生日を祝ってくれたんです」
「そりゃいい。おいくつになられたのですか?」
「31歳です。」
「お若い!いいですなぁ〜私なんてもう、その倍くらいの年齢ですよ」
「運転手さんこそお若いですよ、みえないです。」
「ありがとうございます、しかし年をとるというのは嫌なものです」
そう言って運転手のおじさんは、大きく右にハンドルを切って第一京浜へと曲がった。
京浜急行の高架下が、僕たちの乗る車両の頭上をかすめていった。
ー
9月7日。僕の誕生日だ。子どものころ、夏休みが終わり少しして、
まだ暑さの残るこの時期に僕の誕生日は配置されていて、
幼いころは、お盆に祖父祖母からもらったお小遣いを元手に、
いろんなものを買ってもらったような気がする。
とっても罰当たりだけど、何を買ってもらっただろうと思い返しても、
思い出せるのはほんの数点で、それ以外は何を買ってもらったかを
あまり思い出せない。
誕生日には、家の近所にある「シェトレーゼ」というリーズナブルな
ケーキを販売する洋菓子店で、かならず「スターダスト」というチョコレートケーキを
買ってもらった。ホールケーキではなく、切り売りされたケーキの方が、
いろんな味を楽しめることもあって、我が家では、あまり誕生日にホールケーキは出てこない。晩御飯は指定した好物を両親が作ってくれた。
からあげ、スバゲッティ、カレー、ハンバーグ、餃子、焼きうどん、
自分のその時食べたいものを、数日前から指定しておき、最終チェックが当日の朝入る。
「今日の晩御飯は、本当にからあげ?」
「えっと、、、そうだな、、、ちょっとまって、、、、えっと、、、」
朝学校に向かう玄関先で、靴ひもをあたふた結びながら、その最後の決断に
へきもきしながら、僕は毎回答えていたような気がする。
晩御飯を食べたあと、すぐにはケーキを食べない。
指定の好物を食べるため、晩御飯がフィニッシュしているときは
たらふく食べている。満腹に食べている。
お風呂に入り、少しテレビを見て、軽いストレッチなんかをして
お腹を空かせる。そして、ケーキを、約3時間程度あと、大体夜の9時ごろに
食べ始めるのだ。
「今日は誕生日だからさ、ドラマみてもいいよね?」
夜更かしを懇願する。通常であればもう寝る時間。
「今日だけよ」とにこやかに答えてくれる両親を尻目に、ちびちび、ちびちびケーキを食べながら、10時ごろまで眠い目をこすりながら、粘るのだ。
2階の部屋に上がる。当時の僕の部屋は、壁紙が雲の模様で、日当たりのよい部屋だった。12畳ほどの空間を、弟と二人シェアをして、学習机、ベット、ミニ四駆キット、どれも例外なく2セットずつ置かれた室内で、勉強をしたり、ゲームをして遊んだり、寝る間際まで弟と話をしたりして過ごした。
(僕はあまり勉強をしてはいなかった)
誕生日の日は決まって、寝つきが悪かった。
出窓を見ると、自分の通っていた小学校の校庭が見えた。
そこには大きな気でできたボールの壁打ちができる看板のようなものがあって、人影はいなくとも、なぜか、夜になると、音がする。がこん、がこんとおそらく風に当たってその鳴る看板を、じーっと見ながら
物思いに耽る。
(自分の誕生日、生まれた日。
反対に僕はいったい、いつまで生きられるのだろう、、、)
そんなよからぬ、答えもないことを考え始めて、強くなる。
そして、タオルケットにくるまって、エアコンの効いた室内で、
丸くなって、僕は眠る。
ー
第一京浜から環七に差し掛かる交差点で、タクシーは止まった。
「いつの時代もそうなんですな。子供のときの誕生日ってのは特別な日なんですな。
お客さん、私もね、子供のとき、誕生日にもらった駄賃で爆竹を買ってもらって」
「爆竹ですか?火薬の?」
「ええ。で、それを、ながーい筒の先に入れて、もう一方の筒に、ダンゴムシとかカマキリとかイナゴとかをつめるんですわ。そうすると、びゅーんって飛ぶんですよ。それが楽しくてやっていたらね、ばあさんに見つかりましてね、そりゃもう怒られましたよ。【祝い金でそんな残酷なことする罰当たりみたことない!】ってね。残酷ですよ、子供ってのは」
「あはは、時代を感じますね、でも、子供ってそういうところありますよね」
信号が変わりゆっくりとタクシーが動く。
雨はもうやんでいた。
ー
「夢をみたよ、不思議だった」
「え、どんな夢?」
お盆にはかならず母方の祖母の家に泊まる。
僕は祖母との話が楽しみで、泊まった日はかならず、朝5時ごろ起きて、
祖母の寝ている部屋まで行く。
祖母はもう起きていて、僕が起きてくるのを知ってか、
お茶を沸かして待っていてくれる。
「多分航だと思うのだけど、赤ん坊をね、桶に水を張って、お風呂に入れているのよ。暑い日で、かわいそうだなって思ってね」
「え、、、怖い話?」
「ううん、それでね、お風呂入れた後に、その水で私も髪を洗うのだけど、それがとっても気持ちが良くて、気が付いたら、髪の毛が黒々してるのよ!」
「へー若返りの水だ」
「そう、不思議でしょう」
祖母は長年、風水というハートカバーの日記帳にいろんなことを書き留めていた。その日みた夢や、当時90年代に起こった社会問題や事件についての自身の考え、そういったものをまとめた日記だった。
その中にこの話も記載されていて、話はここで終わっていたが、以下のような短歌なのか、詩なのか、それとも、書付なのか、1文書いてあった。
「つがれたものしかつぎ足せない。ついでついでいくのが、親と子よ」
この一節、全く忘れていたけれど、最近になってようやく僕自身も、この考えを少し理解できたような気がする。
31年。僕は人生において、自分のために生きてきた。自分の財産、それは知的部分や経験的なところも含めて、僕という容器にたくさんの水を入れたいという思いで、生きてきた。
子供ができて、その容器に入れるだけでは、人生ではないと思った。
子供の容器ができたのだ。
その容器に、できるだけ多くのものを注いであげたい。そのためには、僕自身もたくさん注いで持ち運び、子供のところまで運ばなくてはならない。
「ついでついで」は
「継いで」であり「注いで」ということだったんじゃないか。そう思う。
なんというか、人生の主人公交代が行われた感じ。それは悲観的な意味ではなく、とても深みを持った、そして視野が広がる、ポジティブな体験だ。これから、僕が注ぐこの容器がどうなっていくかは、僕の容器の体積と、注げる頻度と、そしてなにより注ぎ口や注ぎ方にかかっていると思うと、身が締まるのだ。
「着きました。お客さん、お代は結構です。
私からの誕生日プレゼントだと思ってください」
「え!そんな!ダメですよ!」
「大丈夫ですよ、個人ですしね、それくらいは自分で決めれます」
「でも、、、」
「じゃあ、今度長距離乗るときは、電話してください。またご贔屓に」
そう言って、運転手は僕を下ろし、去っていった。少し歩いて、家に着いた。明かりは消えていて、風呂に入ってからリビングにいくと隣の寝室で、息子も妻も、同じ格好で、眠っているのが見えた。
リビングを歩いて、寝室の方に向かうと、足の裏に何かが刺さる。
弟にもらった、息子の誕生日祝いのブロックだった。
あたりに散らばった、そのブロックを一つ一つ拾っていく。
そして、音をたてないように、一つ一つそっと箱に戻していく。
何かの形に組み立てられたそれを、手にとっては
「これは鳥の形を作ったのかな?」
「これは車だな」
なんてことを一人小声でつぶやきながら、
真っ暗な部屋の中、背中を丸くして、
僕はその断片を、そのままの形で戻していった。