まいにちショウアクのすけ

平日の日課として、書いて、書いて、書いて!

感謝を信じる旅路

小学2年生のころから、高校卒業までバスケットをやっていました。
高校に入るまでの学校生活をいま思い起こすと、バスケットのことしか思い出せない状態です。

もともと幼少期から勉強が得意ではなかったということ、また人付き合いが得意でなかったことから僕はバスケットという自分なりの生きる領域のなかで、自分の存在価値を見出そうとしていました。

熱中していました。寝ても覚めても、考えていることはバスケットのことで、反復練習やイメージトレーニングのなかで、ほかのプレイヤーより秀でることを得ようとしていました。

絶対に負けてはならない。負けたら終わりだ。

そのような感覚を持って、毎日をバスケットボールに、文字通りしがみつきながら、生活をしていました。そのせいか、僕は高校に入るまで、他チームのメンバーはもちろん、自分のチームのメンバーにまで、ライバルという域を超えた敵対精神をもち、遠ざけ、忌み嫌っていました。

高校時代に転機がありました。

それは、いまでも大親友のサトシ、ハマに出会ったことです。

スポーツ推薦で入学した高校に、一般入試で入学してきた彼らは、同じバスケットボール部に所属していました。僕のいた高校ではバスケットボール部は3部にチームが分かれており、僕は1部、彼らは3部にいました。そして、入学時点から卒業まで、学校生活を同じクラスで過ごしました。かけがえのない、たくさんのものを彼らからもらいました。

彼らはバスケットがうまくはありませんでした。しかし、バスケットを楽しんでいました。そして学校生活を、いや「人生を楽しむ術」を知っていました。

ユーモアがあったのです。

ある日、英語の授業中に、担当教員の勧めた参考書に対して、ある不良生徒が「ねずみ講(こう)かなんかですか?」という発言をしました。

担当教員は激怒しました。非常に感情的に、かつ当たり散らすように怒りました。それと同時に、クラス内に異様な、重苦しい、学生たちの「そんなに怒るなよ」というような不満が立ちこめました。

そんなときです。サトシが

「そんなにおれらを、怒んないでよぉー!」と自宅から持参した入れ歯をつけて発言しました。

みんなは驚き、笑い、なんでいれば持ってきてんだ、なにいってんの、え、まじうけんですけどというような声が各所で聞こえ、一瞬のうちに空気が変わりました。怒った教師の方自身も、笑い、「ごめんなさい、感情的になりすぎました」という詫びも言葉まで出てくる始末でした。

僕は、この一瞬のうちに、すべてを変えてしまうユーモアの力を、そして、底抜けに明るく、そして力強く、人間の芯のようなものをもった彼を尊敬するようになりました。

そんな彼と、たくさんの時間を過ごしました。

近くの川に釣りに行ったり、用もないのにホームセンターの匂いを嗅ぎに行ったり、映画を観に行ったり、近くの女子校に忍び込んだり、様々な体験を共有しました。

いつも別れ際、彼は「じゃあね」「さよなら」というような言葉をけっして言いませんでした。

かならず「ありがとう」と言っていました。

気になって、「サトシはなんでいつも別れ際に『ありがとう』というの?」と聞いたことがありました。彼は照れくさそうに、こう言いました。

「それはさ、その日が楽しかったり、何事もなく過ぎ去って行ったのは、その人のおかげじゃない?だから、感謝したくなるんだよ」

それを聞いたとき、なぜか、僕は目頭が熱くなるような気がしました。

 

僕の高校時代のバスケットコーチにも同じようなことを言われました。
高校一年生の全国大会の2回戦、第2コーター。先輩に変わり僕がコートに入るときです。

「感情のなかで、一番強いものはなんだかわかるか?」

「わかりません、、、負けん気でしょうか?」

「違う。『感謝』だよ。コートに入る前に感謝しなさい。

お前を生んでくれた人、そしてお前という人間を育ててくれたバスケットというスポーツに感謝して、それを返すように、噛みしめるように、誰よりも、多くの点数を取ってこのベンチにまた戻ってきなさい」

 

僕の人生のなかで、転換期があるとするならば、その高校時代の経験たちのような気がします。

「感謝に勝るものなし」

だから、すべてのことに感謝しつつ、できればユーモアを持って、生きたいと思うのです。