電信柱の話
3月の始め、オフィスに行くと、僕の席の近くに電信柱が立っていた。
いや、電信柱のようにひょろっとした、背が高い男性がいたのである。
綺麗な白シャツを着ていた。
ズボンはローライズ、タイトなチノパンで、彼の直線体格を強調していた。
そして、僕たちのオフィスでは珍しく、ジャケットをきている青年。
特に挨拶をするわけでもなく、時期も時期ということで、新入社員の方かなと思い、パソコンに向かう。
その日はある案件の打ち合わせがあり、プロデューサーの方と外出する予定だった。
待ち合わせ場所のオフィスの入り口付近にいくと、
あれま、電信柱が立っている。
紹介をされた。
彼は我が社の撮影部門のアソシエイトプロデューサーで、インタラクティブ部門の研修という形で半年間、
僕たちのオフィスにきた、名前を『津留(ツル)』という青年だった。早生まれの25才。僕とは社会人同期だった。
シュッとしていた。
プロパーの社員。シュッとしている。バックは革張りのビジネスバック、ジャケット、革靴。
こちらといえば、高校時代、修学旅行に行く時に『べべ(新品)で行きんしゃい』と婆さんに
買ってもらったリュックを背負い、メキシコ人ハーフの芸人そっくりの口ヒゲを生やし、
周りには中学生の指定靴みたいだと言われるニューバランス。僕とは、、違うではないか。
ここは舐められないようしっかりとした挨拶をしなくてはいかん。
バシッと決めたろう。
意を決して挨拶をした。
『ウヘヘ、あだ名みたいな名前だね〜よろしぐぅ〜(揉み手スリスリ)浦川だよぉ〜、よろしぐぅ〜』
『よろしくお願いします、浦川さん!』
完敗である。
喋り方も落ち着いていて物腰も柔らかい。そして最後の『!』にさわやかさがあるではないか!
なんとしっかりとした青年なのだろう。こんな青年がいるなんて我が社も安泰だぁ〜、うん。
彼とはその日打ち合わせをした案件を一緒にやることとなった。
3月から9月までの比較的長期的な案件だ。
それはちょうど彼の研修期間と重なっていた。
僕はサイト制作のディレクションを担当し、彼がお金周りの管理、撮影まわりの手配などを行った。
具体的な内容は書けないけれど、一緒に大阪に行ったり、撮影をしたり、
色々とてんこ盛りな半年間だった。夏真っ只中の時、山場を迎えた。
比較的Webの制作期間はなく、お互い何日も徹夜をするような生活になった。
しかし楽しみもあった。ちょっと贅沢をしようと、わざわざオフィスのある天王洲から六本木にある中華屋へ弁当を発注したり、新宿にある文壇バーにいったりした。朝方遠くのファミレスまで歩いていったりした。銭湯に行こうと計画して、結局二人とも疲れ果て、寝過ごしてしまったりもした。
彼は決して、僕とは違う人間ではなかった。僕と同じように、
話すのが好きで、萌え系アニメが好きで、シャレ好きな今時の男の子だった。
彼は見た目通り、電信柱が、発電所から各家庭まで電気を橋渡しするがごとく、
僕たち制作陣営の橋渡しを、雨風にもびくともせず、安定的に、そして少し寂しそうに、
しっかりと立って遂行してくれた。
最後のほう、僕が体調を崩し、迷惑かけてしまったこともあった。とても恥じている。
最後の日、僕と会社の社長、そして津留くんの三人で送迎会をした。
その際、不思議な体験もした。(この体験はまた今度書きます)
帰り際、川にかかった橋の上、大声で叫び、お別れした。
もう風が冷たかった。夏が終わっていた。僕たちは夏を乗り切ったのである。
次の日、会社に出社する際に、
よし、とりあえず津留くんとオフィスに面した川辺で一息入れてから仕事をしようと
考えながら歩いていた。
駅の信号待ちで立ち止まった時、
あぁ津留くんはもういないのか、
と思い出した。
辺りを見回した。
天王洲の街は美しい。
都市化計画で電線は道に埋めら、電信柱はほとんどない。
美しいベイサイドビューが広がっている。
綺麗に整えられた街だなと思った。
信号が青になる。
それと同時に、僕は歩き始め、
それと同時に、なんてつまらない街だと、思って項垂れた。